金屋子(かなやご)神社と聞いて「知ってる」という人は製鉄関係、または刀鍛冶の人でもなければ殆どいないのではないだろうか。この奥出雲の土地(安来市広瀬町西比田)にひっそりとある金屋子神社は全国1200社を数える金屋子神社の総本山だ。
島根旅行の3日目、友人の父君がこの神社を守ってきた宮司の家の出身であると聞いて興味を持ち、米子から40キロほどの道を運転していった。行き方はナビがあればとてもシンプルで道に迷うようなことはない。前の晩に降った雪で奥出雲は白く雪化粧し、しんと静まり返っていた。この辺りは古代の昔からタタラ製鉄が盛んで、奥出雲の土からは良質の砂鉄が大量に取れ、豊かな森林と、斐伊川の水に恵まれた製鉄に最適の土地だった。そろそろ到着、と思われる頃、県道から参道に入るところにかなり大きな鳥居があり、「金屋子神社」の大きな石碑が立っている。この鳥居は石造りでは日本で一番大きいものだそうだ。参道の雪の上には除雪車の跡はあったが、私たち以外の参拝者はいなさそうだ。そのまま細い道を車で入り、しばらくすると右手に少し下がったところに駐車スペースがあったのでそこに車を停めて降りた。車以外の手段でここに来るのはかなり難しいのではないだろうか。公共の交通機関を全く見かけなかった。
アクセス
雪のせいは大いにあるのかもしれないが、それにしても厳しいほどに人気のない、静謐な空気が漂っている。時折日の光が差し込むと、森の木々から粉雪がキラキラと輝きながら落ちて、本当に神様の国に来たかのような神々しい雰囲気だ。鳥居をくぐり、雪の積もった石段を足元に気を付けながら登ると立派な総ケヤキづくりの社殿があった。1858年(安政5年)の祭礼の日に火事で焼失したのちの再建であるようだが、素晴らしく丁寧なつくりで正面の注連縄の上の鳳凰、龍、虎の彫刻が見事で色彩が残っていたころはさぞかし、と思われる。
御祭神
金屋子神:女性神である。こちらが古来からの神だろうが、文献が無いので確認できない。
祭神金山彦神(かなやまひこのかみ)、金山姫神(かなやまひめのかみ)のほか15柱:こちらは記紀にこれらの神が出てきたことから金屋子に替わって関連付けられたのかもしれない。
また、奥出雲地方には「金屋子神乗狐掛図」といってこの女性神が白い狐に乗って走る図が多く分布している。これは「もののけ姫」のサンがモロに乗っている図に非常に似ていて、メイキングビデオでもその関連について言及があるそうだ。
縁起
数度の火災に合い、文献や古文書は失われているのでその由来などは明らかではないようだが、古来よりタタラ製鉄七守護神として知られている。
日照りで困っていた播磨の国に雨を降らし、多くの人を救った金山彦神が「私はこれから西に行き、鉄を作る」と言ってシラサギに乗って旅立ったところ、この奥出雲の桂の木に降り立ったのが最初とされている。金山彦神はそこで製鉄を広め、金屋子神となった。それ以来タタラ場には必ず金屋子神が祀られ、桂の木が植えられるようになったそうだ。
面白いことに言い伝えの中に「死」や「穢れ」といったものが含まれ、タタラ場の周りに死体を置いていたとの話もある。
御神徳・ご利益
鉄の神・火の神
見どころ
金屋子神社の境内の周りには桂の木がたくさんあり、甘い香りがいつも漂っているそうだ。筆者が訪ねた時は積雪があったので、桂の甘い香りには気づかなかった。周りを鬱蒼とした森に囲まれた境内は綺麗に清掃されており、とても気持ちが良い。雪でぬかるむ場所には朝一番で神社の方が蓆を敷いてくださっていた。こういうところの心遣いに特に感じ入ってしまう。お詣りし、記帳もしてきた。また来られますように。
曇ったり、晴れたり、雪が降ったりと目まぐるしい天気の日だったが、本殿にお参りしていた少しの間に一部青空がのぞき、それをバックに見上げる雪に覆われた社殿と森の木々はとてつもなく神々しかった。遠かったが本当に行って良かった。
後日談:
金屋子神社の神主様は今年御年100歳になられたということを友人から聞いたので、心ばかりのお祝いをお送りしたところ、とても丁寧にお電話をいただき、更には立派なお札も送ってくださって恐縮してしまった。いつまでもお元気であられますように。