御霊神社 奈良時代の超ど級の怨霊を祀る

御霊神社は延暦19年(800年)に桓武天皇の勅命により創建され、旅行者で賑わうならまちの真ん中にあって今もひっそりと井上皇后や早良親王の霊を鎮めている。私的には井上皇后と早良親王は奈良時代の怨霊の双璧である。(早良親王については別記事で)

奈良時代において井上皇后は最も悲劇的な人生を送った女性の一人だろう。彼女は伊勢斎王としての人生を途中で覆され、光仁天皇に嫁ぎ、その後の人生で得たただ一人の男子が一方的に山部王(桓武天皇)との皇位継承争いに巻き込まれる。そして罪なき罪に問われ、母子ともに身分を奪われ幽閉先で暗殺または自害されたと思われる。しかし桓武天皇はその後、井上皇后や早良親王の怨霊に祟られ続けることになる。

ならまちのど真ん中にある

井上皇后の悲劇の生涯

井上皇后は聖武天皇の第一皇女として養老元年(717年)に生まれ5歳で伊勢の斎王となる。この決定はおそらく光明子の産んだ娘安倍内親王(のちの孝謙・称徳天皇)のライバルとして男子を産むことが無いようにと、藤原氏の意図で都から遠ざけられたものと思われる。その後天平17年(744年)に井上の同母弟である安積親王(彼は期待の星だった)が亡くなり、聖武の皇子がいなくなったことで井上は斎王の任を解かれ、白壁王(後の光仁天皇)に嫁がされる。白壁王36歳、井上親王30歳くらいのことである。井上は白壁王との間に37歳で酒人内親王を、45歳で他戸(おさべ)親王を産む。当時としてはかなりの高齢出産である。ずっと斎王として育てられてきて、ある日いきなり知らない男性に嫁ぐとはどのような気持ちだろうか。

神護景雲4年(770年)称徳天皇(聖武天皇の娘)が没すると皇統は天智系に移り、井上の嫁いだ白壁王が光仁天皇として即位した。井上はその高貴な血筋(聖武天皇の娘)から皇后となり、771年に息子の他戸(おさべ)親王(当時10歳)が皇太子となるが、その翌年井上皇后は光仁天皇を呪詛したという嫌疑をかけられ廃后され、他戸も廃太子される。二人の後ろ盾であった藤原永手も同じ年に亡くなっている。他戸の代わりに山部王(のちの桓武天皇)が立太子され、その後宝亀6年(775年)に井上皇后と他戸親王は幽閉先の大和国宇智群(今の五條市あたり)で同日に薨去しており、なんとも不可解で後味の悪い事件であった。藤原家内の権力闘争も絡んでいるようで、山部王を天皇に立てたかった藤原良継と藤原百川が関わっていたという見方が強い。

井上内親王は皇統と権力闘争に巻き込まれ、翻弄され、最終的には我が子とともに死に至らしめられた悲劇の内親王であり、怨霊として祀られている。

境内

ならまちの細い路地と込み入った街並みを通って角を曲がると「あっ」と驚くくらい立派な赤い鳥居と門が目の前に現れる。知っていても不意を突かれたような驚きをいつも感じる。鳥居の両脇には御霊神社名物の前足に赤い紐がたくさん結ばれた狛犬がいて興味深い。
この日は朝早く自転車で御霊神社に向かったところ8時前に着いてしまった。門前で待っていると、神主さんが少し早めに開けてくださった。

境内は大変美しく整えられており、清浄な雰囲気だ。まずは手水で清めてから祓戸社でお参りし、心身を清めてから本殿へ。

正面本殿には井上皇后、他戸親王、事代主命が祀られ、本殿左側社殿には早良親王、藤原広嗣、藤原大夫人、本殿西側社殿には伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿が祀られている。いずれも怨霊とされる非業の人生を送った人々だ。

境内内にはその他にも多くの末社がある。

出世稲荷神社: 縁結びの神様として有名。こちらをお目当てに御霊神社にお参りに来る方も多い。

若宮社
水蛭子社 
など

御祭神

井上皇后、他戸皇太子、事代主神、早良親王、藤原廣嗣、藤原大夫人、伊予親王、橘逸勢

狛犬の足止め祈願

鳥居の両脇を護っている狛犬の前足にはたくさんの赤い紐が結ばれている。江戸時代からの願掛け法らしい。「家出人や悪所通いの足が止まるように」「子どもが神隠しにあわないように」「恋人が去らないように」などを願ってするもののようだ。赤い紐は今でも神社で購入でき、今では縁結びを祈願して結ぶ。この赤い紐は「叶結び」という特別な結び方をするそうだ。

奈良の古道と御霊神社

古代より奈良には飛鳥から北上する三本の道があり、東が「上つ道」中央が「中つ道」西が「下つ道」で、桓武天皇は守護としてそれぞれの道に御霊神社を建てた。上つ道が早良親王を祀る祟道天皇社、中つ道が井上御霊社、下つ道が井上の息子、他戸親王を祀る他戸御霊社だったそうだ。この井上御霊社が現在のならまちの御霊神社の前身で、当時流行った疫病などが奈良に入らないようにと守ってくれるのがこれらの御霊さまたちのお役目だった。この三社の内、他戸御霊社の場所は現在不明である。

御霊神社の近くには「上ツ道」の道標も

関連神社

*祟道天皇社

*八所御霊神社

アクセス

〒630-8321  奈良市薬師堂町24番地

御霊神社社務所 TEL 0742-23-5609

開門時間 午前8時~午後4時半

この記事を書いた人

Chrononaut M

慶應義塾大学文学部史学科卒、コロンビア大学ティーチャーズカレッジ英語教授法(TESOL) 修士。Q-Leap株式会社 取締役
2024年に東京から奈良に転居。

外資2社に計10年ほど勤務。その間Chicago、NY、Geneveに計4年駐在。結婚と子育てで一旦仕事を離れ、10年間の専業主婦時代を過ごす。3人の子育て中に再度社会に戻るために本格的に英語をやり直し、2011年にコロンビア大学ティーチャーズカレッジでTESOLを取得、

2014年にビジネス英語研修会社 Q-Leap を愛場吉子と共同設立。企業のエクゼクティブ担当として数多くのプライベートレッスンを現在も手がけている。Q-Leapは今年設立10年を迎えた。「明日の日本代表に真の英語力を!」がスローガン。

コロナ禍にほぼ全てのレッスンがリモートで可能になり、残りの人生は好きなところに住んで好きな仕事をすることに。2024年夏に奈良に転居し、自分の記録として、また多くの人に奈良の魅力を知ってもらいたくChrononaut Naraを立ち上げる。

現在は奈良と東京の2拠点で活動中。奈良8割、東京2割。
推しは、藤原不比等と聖武天皇と早良親王。。。書いているときりがない。