2024年秋の特別拝観2 法隆寺 救世観音菩薩

法隆寺といえば聖徳太子、聖徳太子と言えば法隆寺。その聖徳太子のお姿を写したとされる夢殿の救世観音菩薩立像が春に続いてこの秋も特別公開される。なんと私は長年拝したいと思っていたこの像を今まで見ることができておらず、恐らく今年初めて自分の目でこの有名な救世観音菩薩さまを拝むことになるので、今からドキドキワクワク。。。

法隆寺東院伽藍 夢殿 救世観音菩薩立像公開
10月22日~11月22日(8時~17時、11月4日以降は16時半まで)

あちらの本、こちらの本を読んでも聖徳太子については謎が多く、その人生の多くの部分を想像でしか補えないというのが現実のようだ。私の知らない最新の研究や論文などももちろんたくさんあり、分かっていることも増えているのではと想像するが、どちらにせよ全てを網羅することはできないのでここに書くのはあくまでも私の心象、というものに過ぎない。

救世観音菩薩立像

仏教伝来当初である、ということを抜きにしても聖徳太子や法隆寺を取り巻くものには特殊なものが多い。蘇我氏の血を多く受け継ぐ聖徳太子だが、蘇我氏には食べものや生き物の名前を持つ人が多い、稲目、馬子、入鹿、蝦夷、そして厩戸皇子(聖徳太子は後世に与えられた名前)。自分の名前に付けるのだからそれらをとても良いものと思って付けるに違いない。蘇我氏が元どこからやってきたのかは分からないが、山海の幸に恵まれた東北のほうから来たのかもしれない、など想像は膨らむ。

そして蘇我氏の蘇我はなぜこの漢字なのか?とキリスト教に興味のある人ならだれでも謎に思うだろう。音が「そが」であってもいくらでも他の漢字を当てることができそうなのだが。「我蘇(われよみがえる)」「厩(うまやど)」そして「救世(ぐぜ、きゅうせい)」観音菩薩、とこれらの漢字に共通してキリスト教へのオマージュを感じるのはごく自然だと思う。そして聖徳太子の死を悲しんだ橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が作らせたという断片だけが残る日本最古の刺繍作品、国宝「天寿国曼荼羅繍帳」。聖徳太子が死後に行った世界を描いているのだが、「天寿国」とはどこのことなのか。この他に「天寿国」と名付けられたものは無さそうで、仏教における西方浄土とも違うようだ。何かの写し間違いで「天」寿国となったという説もあるようだが、こんな大切なものを作るのに間違えるということはとても考えにくい。そして「救世」観音菩薩もここにしかない。

明治時代に法隆寺から皇室に献納された御物のうち三十一の伎楽面のひとつ(現在は東京国立博物館蔵)



法隆寺に伝わる多くの伎楽面からは当時、日本には様々な人種が住んでいて、今よりもかなりインターナショナルだった様子がわかる。もともとあった神道に加えて仏教、そしてキリスト教やその他のものも加わって日本のお家芸である和魂洋才、海外のものを上手く取り入れて自分のものにしていく、ということが盛んにおこなわれた時代であることが感じられる。


救世観音像を前にしてどのようなことを感じるのか、今からとても楽しみだ。

法隆寺の門前に和空という旅館があり、そこの宿泊者向けの法隆寺語り部ツアーが大人気なのだ。10月11月のピークはもう予約が取れないほど。是非お話を聞いてみたいと思っているので、年内に宿泊しようと計画中。

この記事を書いた人

Chrononaut M

慶應義塾大学文学部史学科卒、コロンビア大学ティーチャーズカレッジ英語教授法(TESOL) 修士。Q-Leap株式会社 取締役
2024年に東京から奈良に転居。

外資2社に計10年ほど勤務。その間Chicago、NY、Geneveに計4年駐在。結婚と子育てで一旦仕事を離れ、10年間の専業主婦時代を過ごす。3人の子育て中に再度社会に戻るために本格的に英語をやり直し、2011年にコロンビア大学ティーチャーズカレッジでTESOLを取得、

2014年にビジネス英語研修会社 Q-Leap を愛場吉子と共同設立。企業のエクゼクティブ担当として数多くのプライベートレッスンを現在も手がけている。Q-Leapは今年設立10年を迎えた。「明日の日本代表に真の英語力を!」がスローガン。

コロナ禍にほぼ全てのレッスンがリモートで可能になり、残りの人生は好きなところに住んで好きな仕事をすることに。2024年夏に奈良に転居し、自分の記録として、また多くの人に奈良の魅力を知ってもらいたくChrononaut Naraを立ち上げる。

現在は奈良と東京の2拠点で活動中。奈良8割、東京2割。
推しは、藤原不比等と聖武天皇と早良親王。。。書いているときりがない。