法隆寺といえば聖徳太子、聖徳太子と言えば法隆寺。その聖徳太子のお姿を写したとされる夢殿の救世観音菩薩立像が春に続いてこの秋も特別公開される。なんと私は長年拝したいと思っていたこの像を今まで見ることができておらず、恐らく今年初めて自分の目でこの有名な救世観音菩薩さまを拝むことになるので、今からドキドキワクワク。。。
法隆寺東院伽藍 夢殿 救世観音菩薩立像公開
10月22日~11月22日(8時~17時、11月4日以降は16時半まで)
あちらの本、こちらの本を読んでも聖徳太子については謎が多く、その人生の多くの部分を想像でしか補えないというのが現実のようだ。私の知らない最新の研究や論文などももちろんたくさんあり、分かっていることも増えているのではと想像するが、どちらにせよ全てを網羅することはできないのでここに書くのはあくまでも私の心象、というものに過ぎない。
仏教伝来当初である、ということを抜きにしても聖徳太子や法隆寺を取り巻くものには特殊なものが多い。蘇我氏の血を多く受け継ぐ聖徳太子だが、蘇我氏には食べものや生き物の名前を持つ人が多い、稲目、馬子、入鹿、蝦夷、そして厩戸皇子(聖徳太子は後世に与えられた名前)。自分の名前に付けるのだからそれらをとても良いものと思って付けるに違いない。蘇我氏が元どこからやってきたのかは分からないが、山海の幸に恵まれた東北のほうから来たのかもしれない、など想像は膨らむ。
そして蘇我氏の蘇我はなぜこの漢字なのか?とキリスト教に興味のある人ならだれでも謎に思うだろう。音が「そが」であってもいくらでも他の漢字を当てることができそうなのだが。「我蘇(われよみがえる)」「厩(うまやど)」そして「救世(ぐぜ、きゅうせい)」観音菩薩、とこれらの漢字に共通してキリスト教へのオマージュを感じるのはごく自然だと思う。そして聖徳太子の死を悲しんだ橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が作らせたという断片だけが残る日本最古の刺繍作品、国宝「天寿国曼荼羅繍帳」。聖徳太子が死後に行った世界を描いているのだが、「天寿国」とはどこのことなのか。この他に「天寿国」と名付けられたものは無さそうで、仏教における西方浄土とも違うようだ。何かの写し間違いで「天」寿国となったという説もあるようだが、こんな大切なものを作るのに間違えるということはとても考えにくい。そして「救世」観音菩薩もここにしかない。
法隆寺に伝わる多くの伎楽面からは当時、日本には様々な人種が住んでいて、今よりもかなりインターナショナルだった様子がわかる。もともとあった神道に加えて仏教、そしてキリスト教やその他のものも加わって日本のお家芸である和魂洋才、海外のものを上手く取り入れて自分のものにしていく、ということが盛んにおこなわれた時代であることが感じられる。
救世観音像を前にしてどのようなことを感じるのか、今からとても楽しみだ。
法隆寺の門前に和空という旅館があり、そこの宿泊者向けの法隆寺語り部ツアーが大人気なのだ。10月11月のピークはもう予約が取れないほど。是非お話を聞いてみたいと思っているので、年内に宿泊しようと計画中。