夏の暑い日でも元興寺の極楽坊の中には涼しい風が通り抜けている。私はここに来る度にただこの坊の中にずっと座っていたいと思う。外の喧騒から時代を飛び越えて天平の風に吹かれているような気持になる清々しい場所だ。薄暗い堂内の黒光りする柱や天井、床板に囲まれていると心がすっと落ち着いて、堂内の暗さとは対照的な外の青空、白い砂、緑陰が目に鮮やかで時が止まるのを感じる。
元興寺はいまやすっかり観光地となったならまちの奥にある。探すのは容易かと思っていたが、入り組んだならまちの中でも、もっとも道幅が狭く込み入った中に元興寺の入り口はあり、見つけるまでに少し時間がかかった。近鉄奈良駅から歩いて15分ほどだろうか、周りには昔からの小さなお店もたくさんあるので散策がてら是非訪ねてもらいたい素敵なお寺だ。
アクセス
近鉄奈良駅からは東向商店街をまっすぐならまち大通りに当たるまで歩き、ならまち大通りを若草山の方に左に行くと、道の反対側に「元興寺」という看板が見える。道を渡ってならまちの中に入っていけばすぐに見つかる。JR奈良駅からはならまち大通りをまっすぐ東に歩いてくればよいが、20分ほどかかりそうだ。
由緒
元興寺の前身は6世紀に蘇我馬子によって明日香の地に建てられた氏寺、法興寺(または明日寺)である。日本最初の仏寺の建設に当たっては百済などから多くの僧、知識人、技術者のサポートがあったようだ。法興寺は大陸文化と日本文化の交流の舞台であり、歴史上重要な役割を果たす。その後、平城京に都が遷ると養老2年(718年)に飛鳥に法興寺を残しながら平城京内に元興寺を移す。今でこそ、元興寺の子院であった極楽坊(本殿)と少しの遺構が残るのみだが、奈良時代は猿沢の池の南、現在のならまちがすっぽり入るくらいの巨大な寺院だった。明治の廃仏毀釈の頃には元興寺は荒れ果てていたようで、1943年に住職になった辻村泰圓によって少しずつ現在の形まで整えられた。
境内
入口を入り、拝観受付でチケットを買い、東門をくぐると正面に国宝の極楽坊(本堂)が見える。綺麗に敷かれた玉砂利の向こう、青空をバックに天平そのままの姿の御堂が美しい。御堂の正面には珍しく奇数(5本)の柱が立っていて、出入り口を塞いでいるかのようだ。この極楽坊と後ろの禅堂の屋根瓦は創建当初のまま、日本最古の瓦で必見である。瓦屋根を眺めているだけで1400年もの昔に飛べる気がする。
極楽坊は中に入ると中央の仏壇部分は板の間で、その周りは畳敷きになっていてぐるりと回れるようになっている。これは僧が仏壇の周りをまわりながら経を唱えたりするための作りのようだ。御堂の中は暗く、涼しく、中から見る外はまぶしい。御堂をぐるりと囲む縁側に出て見上げてみると天平の瓦屋根を近くに見ることができる。
同じく国宝の禅堂は外から見るだけだが、その屋根が一番の見どころだ。少し茶色がかった瓦が最も古いもののようだ。禅堂に使われている材の一部は6世紀中ごろという調査結果があり、法隆寺よりもさらに古い可能性がある。
極楽坊と禅堂の向かいには仏足石と多くの五輪塔などが並んだ浮図田(石仏群)を隔てて法輪館、そしてその奥に泰楽軒という茶室がある。法輪館の中には光明皇后発願による国宝五重小塔が納められている。細部まで本格的なレプリカで室内鑑賞用。五重小塔は海龍王寺にもあり、この寺も光明皇后と深い関係があるというのは興味深い。
本尊
木造彫眼 阿弥陀如来像(重要文化財) 平安時代
その他寺宝
東門 (重要文化財)
極楽坊 (国宝)
禅堂 (国宝)
五重小塔(国宝)
寄木造玉眼 聖徳太子立像(重要文化財)
木造玉眼(重要文化財)
花
春:桜、つつじ
夏:芙蓉、桔梗、蓮
秋:彼岸花、萩
行事
2月3日 節分
5月8日 灌仏会(花まつり)
8月20日過ぎ 地蔵会(燈明)