浄瑠璃寺の名は薬師如来の浄土である「浄瑠璃世界」に由来するという。寺の山門までの参道はのどかな田舎道をゆくようだ。両側には鬱蒼と草木が茂っていて鄙びた雰囲気の中、訪れたのは10月だったが都会ではとっくに見られなくなったモンキチョウがたくさん飛んでいた。モンキチョウは幸運の印、と誰かが言っていたような気がして動画にも撮ってしまった。この参道の脇には古くからあるお土産物屋がある。きっとゆっくり見たら楽しいものがたくさんあるのだろう。お土産物屋の向かいのトタン屋根の上では子猫が数匹日向ぼっこをしていた。
由緒
寺に伝わる「浄瑠璃寺流記」(観応元年 1350年)によると、永承二年(1047年)に義明上人の発願によって薬師如来坐像を本尊として建立したとなっている。その他にも聖武天皇の発願により行基によって開基されたという説もあるが、不明な点が多い。現在三重塔に安置されている薬師如来坐像が永承二年の創建当時の本尊とすると、時代と様式が合っていることからも11世紀の創建と考えたほうが矛盾が無いようだ。
境内
山門をくぐると静かな極楽浄土が目の前に開ける。中央の池を中心にして東に薬師如来坐像を祀る三重塔、西に九体阿弥陀如来像を祀る本堂がある。この様式は平等院などでもみられるようだ。訪れた夏の終わりは池の周りにピンクや白の芙蓉の花やコスモスがたくさん咲いていた。まずは池の周りを反時計回りに本堂から訪ね、ぐるりと回って三重塔、鐘楼、と見て行くと良いだろう。本堂の中は自然光のみで拝観するようになっているのだが、これがとても美しい。射し込む日の光によって刻々と変わる陰影を眺めながら、静かに阿弥陀仏に祈り続けられる、そんな素晴らしい環境だ。
本尊
丈六阿弥陀如来坐像(来迎印像)を中尊とした九体阿弥陀如来像(定印像八躯)国宝
平安時代後期に多く作られた九体阿弥陀堂の内、現存する唯一のもの。
九体を安置するのは「観無量寿経」で説かれる「九品往生」の考えに基づいている。
2023年に最後の九体目の修復が完了し、奈良国立博物館と東京国立博物館で修理完成記念の展示が行われた。自然光のみの本堂に九体がずらりと横に並ぶさまは荘厳で立ち去りがたい魅力がある。
その他寺宝
浄瑠璃寺は小さいながら多くの国宝、重要文化財を寺宝とする南山城の宝石のような寺だ。アクセスはよいとはいえないが、苦労してでも足を運ぶ価値がある。
本堂(国宝)平安時代
三重塔(国宝)平安時代
四天王立像(国宝)平安時代 広目天は東京国立博物館、多聞天は京都国立博物館に寄託
厨子入り吉祥天立像(重要文化財)鎌倉時代 秘仏
石灯籠(重要文化財)南北朝時代
地蔵菩薩立像(重要文化財)平安時代
その他
この時は友人と浄瑠璃寺、岩船寺、海住山寺とめぐってすっかり山城の魅力に取りつかれ、その直後の東博の展示だった。山城を訪ねた際にお留守だった仏様のほとんどにここでお目にかかれた。先にその仏様が置かれている環境をしっかり見てからの鑑賞だったので、ひときわ感動が大きかった。
アクセス
ここは住所は京都だが、京都と奈良の県境の南山城地域の最南端にあるので奈良市からのほうがアクセスが良い。笠置街道から奥に入ったこのあたりは古くは当尾や小田原と呼ばれていた地域で、中世には興福寺の末寺が多くあった。鎌倉時代の貞慶のように興福寺でのエリート人生を捨てて笠置寺、海住山寺などの山寺に住持しつつ多くの寺の復興に尽力した僧もいた。私はいつも車で来るが、公共交通機関を使うのであればJR大和路線「加茂」駅から木津川市コミュニティバスで「浄瑠璃寺前」下車、となる。