私が家を出て毎日のように通るのが転害門。762年創建。前に立つたび、横を通り過ぎるたびに1300年前にスリップする。
転害門と書いて「でがいもん」と読む。数々の災厄を乗り越え、東大寺の創建当時、天平の優美な姿を見せてくれるのはこの転害門と法華堂だけだ。転害門は境内の北西の端にあり、ここからは西に一条南大路がまっすぐに伸びている。佐保路とも呼ばれたこの道は聖武天皇陵・光明皇后陵の前を通って平城京に至る道なので当時は天皇が東大寺に参拝する際にはこの門を通ったことだろう。また、転害門から北へ行く道は木津川沿いの山城や京都に続いており、南に行けば興福寺に当たる。まさに古代においては交通の要衝、メインジャンクションに転害門はあった。
転害門は三間一戸八脚門、つまり正面から見ると真ん中の開口部の両脇に白壁の部分があり、これが三間一戸。そして本瓦葺の切妻造の屋根を八脚の円柱で支えている。天平時代の八脚門はこの転害門と法隆寺の門しか現存しない。
転害門を見て「あれ?」と思う方は正しい。お寺なのになぜ注連縄と紙垂??と。
転害門が建てられた奈良時代、神仏習合思想が中心だった。聖武天皇が大分の宇佐八幡を東大寺に勧請された際にその分霊の神輿が転害門を通って以来、この門には注連縄と紙垂がかけられている。この大注連縄は四年に一回地元の川上町の有志によって架け替えられるそうだ。
現在は特別な機会以外は開口部分を通ることはできず、通常は両脇を通るようになっている。
この門の辺りには小さな鹿のグループがいることが多いのだが、今日は夕立の後にすっかり涼しくなった空気の中、お母さん鹿が子供の毛づくろいをしている光景を見かけた。これだけで幸せを分けてもらった感じ。