去る11月2日、帝塚山大学東生駒キャンパスで行われた牟田口章人先生の講義に参加した。牟田口先生とは九州の大牟田に共通の知人Rさんがおり、その方のご紹介で今回の講義拝聴の機会をいち早く知ることができた。実はこの講義の直前に大手の新聞に軒並み取り上げられ、「あの鎌足の大織冠か」ということで申し込みが殺到したそうなのだが、その時点ですでに講義の申し込みは締め切っていたそうだ。反響が大きかったとのことでまた別の機会に牟田口先生のお話を聞くことが出来ると思うので、是非奮ってご参加ください。
中臣鎌足または藤原鎌足については歴史の授業で「大化の改新」と共にその名前を暗記させられた方も多いのではないだろうか。鎌足の墓がどこにあるかはずっと特定されていなかったが、談山神社やその他候補地は多くある。その中でも今回、北摂山系にある阿武山古墳がその副葬品から最有力候補として注目されている。この阿武山古墳は昭和9年に発見されたものの、わずか111日で埋め戻され、それ以降調査が途絶えている。その後発見直後に撮影されたX線写真が発見され、それ以降複数の研究者によって地道な研究が進められてきた。その結果、棺内に残された金糸などの研究から、阿武山古墳はあの鎌足の墓なのではないかという可能性が高まった。
歴史上、鎌足にしか与えられなかった紫の羅織の大織冠の組成や形などを情熱と執念で突き止められた牟田口先生の講義と聞いてすぐに申し込んだ。足を運んだのは雨の土曜日だった。帝塚山大学の緑多いキャンパスでは湿気を含んだ空気がすっかり秋の装いだった。想像していたよりも小さな講義室に入ると手前の机にはいろいろと興味深い資料が並べられ、教卓にはすでに牟田口先生が座っていらした。名前を名乗って自己紹介し、もちろん最前席に座る(自分の大学時代には考えられないことだ)。
ここで講義の内容をあれこれ詳細にご紹介するのは適切ではないし、興味のある方は是非ウエブなどでも読めるのでこの記事末尾のリンクから詳しいご研究内容を読んで欲しい。
とても穏やかで優しそうな牟田口先生がご自分で「自分の生涯をかけた研究・探求」であると仰るこの阿武山古墳の不思議、かつある意味考古学的にはかなり不運な運命をたどった歴史のお話を伺いながら1400年もの時間を越えて私たちの前にその姿を現してくれた紫の冠に感謝するばかりだった。
この古墳の墓にはかなり完全な状態でミイラ化した遺体が残っていたのだが、初期の扱い方の杜撰さによってかなりダメージを受けたものの、当時撮られていたX線写真によって、この被葬者がテニスエルボー(実際には弓など他のスポーツによる)だったことや、亡くなる数か月前は脊椎の圧迫骨折などによって寝たきりだったのではないか、などの科学的検証もされている。
そして紫の羅の大織冠。病に伏した鎌足を見舞った天智天皇がその死の前日に鎌足に賜ったという大織冠の金糸の刺繍糸の残欠からその模様なども推測されている。この大織冠は文献上、鎌足以外に下賜されたものはいないので、ほぼ間違いがないのではないかということだ。この大織冠は遺骸の顔の上に乗せられていたようだ。また、棺内部には大化の冠位制度で大織冠の下になる鎧冠(つぼこうぶり)の断片もあったという。大化の改新において天智天皇を政治的に協力にサポートしてきた藤原鎌足の副葬品としてふさわしい。
講義を通じて牟田口先生の優しくユーモアのある語り口の後ろに燃え続ける不屈の炎を感じさせていただき、とても感動して帰路についた。
帝塚山大学プレスリリース
https://www.tezukayama-u.ac.jp/news/2024/112/
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20241030/k00/00m/040/337000c