橿原神宮は大和三山のひとつ畝傍山の山麓に15万坪もの敷地をもつ巨大な神社で日本の初代天皇である神武天皇を祀っているが、創建は明治23年(1890年)と新しい。以前、隣にある橿原考古学研究所を訪ねた際に立ち寄ったことがあった。広大で清々とした空間だ。日本人は大きな鳥居に弱い、、、私も立派な鳥居をみると「はあ~❤」となってしまう。大和民族致し方なし。
しかし自分は基本古いものに興味があるのでその時はそうは言ってもさほど関心が無かった。今回友人が「橿原神宮に是非行ってみたい」ということで再訪した折、その創建に興味を持ったので記事にした。
とにかく広い。
ご存知の通り、実際の歴史上実在した可能性のある第10代崇神天皇(3~4世紀?)辺りからさかのぼる天皇記は神話の一部であって混沌としている。神武天皇の即位は紀元前660年元旦ということになっているのだが、これは601年の推古天皇即位から丁度1260年前に当たる。明治時代の歴史学者 那珂通世先生の「上世年紀考」によると,古代中国には1260年(60年x21)辛酉(かのととり)の年に大革命が起きる「辛酉(しんゆう)革命」という考え方があり、それが日本にも伝わったようだ。逆算したのかなあ。。。などと不遜な考えがちらっと頭をよぎる。丁度7世紀辺りから「大王」ではなく「天皇」というコンセプトが始まったことを考えるとなかなか興味深い。平安時代以降は辛酉の年に改元することが多かったそうだ。
また、現在の建国記念日が2月11日なのは、陰暦の元旦を現在のグレゴリオ暦に合わせているからだ。
初代神武天皇
天照大神の子孫である神武天皇はその神名を神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)と仰り、豊かで平和な国づくりを目指して九州の高千穂の宮から東に向かい、6年の時をかけて畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建され、初代天皇として即位された(と橿原神宮HPより)。ちなみにこの辺りの天皇は皆大変な長寿だ。記紀によると初代神武天皇は127歳まで、10代崇神天皇は168歳、11代垂仁天皇は140歳まで生きられたそうだ。
境内
最初に訪れた時は畝傍山の麓を通って北神門から入った。こちら側の参道には途中に畝傍山への登山口などもあってちょっとのどかな印象もある。いつか登ってみたいなあ、畝傍山。今回は立派な正面参道を通って南神門から入ったのでかなり印象が違った(とはいえ北神門も一般の神社に比べると比較にならないくらい立派だ。
この畝傍山の東南麓は橿原神宮建設前には広大な畑地が広がっており、橿原神宮HPによると民間より神武天皇顕彰の機運が高まったことで、明治天皇から裁可がおり、京都御所内の天照大神が祀られていた賢所を本殿として、また新嘗祭が行われていた新嘉殿が拝殿として橿原神宮に下賜された。橿原神宮建設に際しては民間からの寄付はもちろん、国家予算もかなり投入されている。
橿原神宮にほぼ隣接して神武天皇陵があるが、こちらは橿原神宮の完成に先だって1863年に新たに天皇陵に制定されたもので、それ以前は神武天皇陵には複数候補地があり、所在不明だったようだ。神武天皇陵制定には幕末に高まった攘夷の機運と尊皇思想の高まりが大きな役割を果たしていたようで、尊皇家として知られる水戸藩主の徳川斉昭や孝明天皇からの強い希望があったようである。こうして神武天皇陵が整ったことで、神武天皇を祀る橿原神宮が作られた、という時系列のようだ。
橿原神宮の参道脇には大きな灯篭がずらりと並んでいるが、全て民間人や企業からの寄付のようだ。場所によって寄付額が違うのでは?と予想をつけて友人と確認したところ、大きな参道沿いで参拝者の目に留まるところは300万、ちょっと目立たない場所の灯篭は200万だった。
南神門の外には深田池という大きな池があり、池の周りにはたくさんの桜の木が植えられていて春にはとても美しい。池にはたくさんオシドリがいる。
アクセス:橿原神宮前駅
何といってもお召列車が停まる駅なのでとても立派だ。橿原神宮の参道へそのまままっすぐ続いている。最近では愛子様の神武天皇陵へのご参拝が記憶に残っているのではないだろうか。
近鉄橿原線「橿原神宮前駅」下車すぐ。近鉄特急を使うと京都から一本、所要時間54分。