安倍文殊院は桜の季節が美しい。特に境内にある文殊池と金閣浮御堂を囲む桜は見事だ。最初に訪れた時に桜があまりにも見事だったのでその他の事をあまり覚えていない。もしかしたらすでに本殿は拝観の受け付けを終了していた遅い時間で境内だけ見て帰ったのかもしれないと思う。それ以来5度ほど訪れているが、その度に発見のある奥深い寺院である。創建が大化元年(645年)と知ればそれも納得。日本最古に近い寺院なのだ。
境内の全てをまだ網羅できていないが進行形の記事ということで。

アクセス
奈良の自宅からは国道169号をひたすら桜井に向かって南下する。東大寺からほぼ一本道と言っても良いくらいだ。安倍文殊院を訪ねるときは他の桜井近辺の寺院や明日香エリアの寺院、藤原宮や古墳などと一緒に訪ねることが多い。桜井の駅を越えたあたりから標識にも「安倍文殊院」の文字が見えてくる。標識に従って少し住宅街に入り、ぐぐっと坂を上り切ると五芒星をいただいた「安倍文殊院」の大きな石碑が見えてくる。
由緒
由緒は創建が大化元年であるというだけでもすごいが、もともとは大化の改新時の左大臣、安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建てたものだ。時の孝徳天皇(皇極・斉明天皇の弟)の勅願もあり、「安倍山崇敬寺」として建てられた。この時代は政治もまだ混とんとしていて人物関係などもかなり複雑怪奇だが、孝徳天皇は仏教を重んじた天皇だったようだ。安倍という名を聞いて奈良時代の遣唐使「安倍仲麻呂」や陰陽師の「安倍清明」、そして「安倍晋三」元総理を連想する人は多いと思う。安倍仲麻呂と安倍清明はこの倉梯麻呂に続く系譜にあり、特に清明はこの文殊院の境内の一角で生まれたという話も伝わっており、入り口で見た五芒星はまさに陰陽道の印だったのだ。安倍文珠院では陰陽道に基づいた魔除なども授与している。また安倍晋三元総理も灯篭を寄進しており、浮御堂横に記念碑がある。
創建以来多くの荒波を超えて今日に伝わる寺院だが、鎌倉時代に東大寺を再興した重源上人と仏師快慶によって現在の本尊である国宝騎獅文殊菩薩像が作られた。

境内
境内には大変多くのお堂や史跡があるのでここでは一部のみ紹介する。
金閣浮御堂
山門の石碑を入ると目の前に境内が開け、その中央に文殊池と金閣浮御堂が見える。浮御堂は六角堂で中には十二天が祀られている。拝観受付では「本堂のみ」と「本堂+浮御堂七まいり」の2種のチケットを選べる。この七まいりは申し込むと7枚つづりの札を渡される。浮御堂の周りを7回巡って一周ごとにお札を入れ、願い事をし、7周回り切ったら内陣へ入りこちらのご本尊弁財天にお詣りすることができる。直近の訪問で初めて七まいりをしてみたが、ひたすら同じ動作を繰り返すというところに一種の高揚感を覚え、祈りのひとつの典型を体験したように感じた。


本堂
本堂は浮御堂から見て左の向かい側にある。ここの社務所では様々な授与品を売っていて清明公ゆかりの陰陽道の護符もあれば、中には文殊さま故の「ボケ防止」のお守りも。
靴を脱いで上がるとまず空海さんを祀ってあるお部屋がある。部屋には四国八十八か所の霊場から集めた砂を納めた座布団状のものがあり、それを踏みながら願うと足腰が護られるというものだ。私は毎回ここで祈らせていただいている。これから足腰大事ですから~。
そしてその奥に進むといよいよご本尊、快慶作国宝の騎獅文殊菩薩と他の四体を含む「渡海文殊群像」を拝することができる。この五体は全て国宝で、なんとも異国風(宋風ともいわれるらしい)の群像だ。文殊菩薩像はもちろん、善哉童子像も大変有名なので写真で気づかれる方も多いだろうと思う。
私が集中的に拝観に伺った2024年から直近の訪問時(2025年5月)に至るまで耐震工事と修復のため、文殊菩薩様は獅子から降りられていて、大変珍しいお姿を拝することができた。この耐震工事は2026年の前半には完了するようなのだが、ここからは像の移動などいろいろコンディションが変わりそうなので、何が見られるのかを事前に確認してから足を運んだほうが良いかもしれない。(この記事がリリースされた6月11日に文殊様が獅子に乗られたというニュースが?)

本尊
この騎獅文殊菩薩像はその圧倒的な大きさ(高さ7メートルで日本最大の文殊菩薩像)と、そしてこの大きさになっても失われない快慶の腕によるどこまでも緻密で端正な美しさに深い感動を覚える。そしてまた文殊様が乗っている獅子がまた可愛いのだ。大迫力にもかかわらずユーモラスでもある。是非皆さんにもこの獅子に乗る文殊様に会いに行っていただきたい。この巨大なお像がここを離れて博物館などの展示に出ることはなかなか無さそうなので。
この『文殊五尊像は「五台山文殊」「渡海文殊」と呼ばれ、中国の聖地である五台山から海を越えてやってくる様子をあらわす群像』(私が属する天平会の2024年度レジュメによる)だそうで、同年に運慶・快慶によって作られた東大寺南大門の金剛力士像とともに宋代の仏画に基づく配置、ポーズ、持物などとなっているそうだ。

西古墳
安倍文殊院の境内には「特別史跡」に指定されている古墳があり、この内部は案内によると大化元年(645年)当時のまま保存されているそうだ。創建者の安倍倉梯麻呂の墓と伝えられている。内部に入ると美しく加工された大きな花崗岩を精緻に組み上げてできている石室に軽い衝撃を受ける。雨の日に訪ねたが、雨漏りひとつしない。昔の人の技術の高さを肌で感じられる貴重な空間だ。

花

地図
車が便利だが、電車の場合は桜井駅(近鉄、JR)が最寄り駅となる。桜井駅からは徒歩20分程度でタクシー利用も可。