高雄山 神護寺 

神護寺(高雄山寺)は宇佐八幡宮神託事件において天皇家を身を挺して護った和気清麻呂の和気氏の元私寺でもあり、その後、空海・最澄という仏教の二大尊師が深くかかわり、密教を世に広めるための拠点となった寺でもある。平安遷都においては奈良にあった大寺院が平安京に移ってくることを桓武天皇によって厳しく制限されたので、奈良時代創建で京都にある寺は多くない。その中でも平安京入口にありその鎮護の要であった東寺と、密教伝道の根本道場となった神護寺は別格である。

アクセス

京都市内からは地下鉄とバスを乗り継いでいく。所要時間はおよそ1時間。平日は立命館大学のバス停までは学生さん達でかなり混むが、その後はかなりゆったりと空いている。神護寺へ行くなら「高雄」で下車し、標識にしたがって石段を下りてゆくと新緑の季節には青々とした楓と川面を通る涼しい風が迎えてくれる。私は新緑の季節に訪れたのだが、紅葉のときはさぞ、と思うほどの楓の木々である。赤い橋を渡って川床料理の店などの並ぶ場所を通り過ぎるとここから本殿まではかなりの石段登りとなる。ここが修験の場であることをひしひしと感じるが、懸命に上る私たちを辺りの新緑や紅葉が励ましてくれる。

緑陰が最高に気持ち良い参道入口

境内

石段を登り切って山門を通ると山の中腹とは思えないような平坦で開けた境内がある。金堂へ向かう手前には和気清麻呂公の墓への参道の入り口もある。やれやれやっと登りも終わりかと思ったら国宝の薬師如来が安置されている金堂へはさらなる石段が待っている。石段の下から金堂の屋根を見上げながら10世紀、12世紀と大きな火災に会い、またその後も栄光と転落の激しい時代を生き残ってきたこの寺の歴史を思う。現在の金堂は山口玄洞の寄進による昭和九年の再建で瓦葺の本格密教仏堂となっている。

なかなかの石段です(💦)

清麻呂公の墓への参道は北山杉と楓に囲まれた苔の美しい道で、木漏れ日の中、入り口から登って10分ほどで着く。近年の台風で柵などが破損したそうだが、和気氏の子孫の方の夢枕に清麻呂公が立ち「墓をなおすように」と言われたとのことで、2023年にその方の寄進で修理され、今は綺麗に整備されている。夢枕パワー凄い!

綺麗に整備された柵

縁起

冒頭で神護寺(高雄山寺)を私寺としていた和気氏の清麻呂が天皇家を救ったと書いた。清麻呂は奈良時代の終わりから平安時代にかけて重要な役割を担った貴族で、天武天皇系最後の天皇である称徳天皇(女性天皇)の時に僧道鏡が天皇の寵愛を良いことに宇佐八幡宮の宮司と結託して偽のご神託を出し、危うく道鏡が天皇になるところを清麻呂が阻止した。清麻呂はそれによって道鏡と称徳天皇の怒りを買い、穢麻呂(きたなまろ)と名を変えられ、流刑となる。更にその後も道鏡から命を狙われるが、生き延びる。称徳天皇没後に道鏡が失脚すると、天智天皇系である光仁・桓武天皇に重用され大きく出世する。その長男広世は仏教の保護者として当時唐から戻ったばかりの最澄を高雄山寺に招いて法要を行ったり、後には空海を住まわせ密教の灌頂を行ったりと、神護寺は単に和気氏の私寺に留まらず平安時代における密教の根本道場の性格を強めていく。

空海以降は大きな火災に二度(994年、1149年)遭い、平安末期には衰退していく。

平安末期、神護寺の荒廃を嘆いた文覚は後白河法王に神護寺の復興のための寄進を願い出るが、文覚があまりにもしつこく迫ったため法王の不興を買い伊豆に流される。歴史の偶然とは面白く、伊豆で源頼朝と出会った文覚は頼朝に平家追討を促し、最終的には平家追討に向けて頼朝と法王を裏で繋げたフィクサーのような役割を果たしたらしい。この後文覚は神護寺復興のための援助をこの二人から得ることになる。文覚の後は上覚、明恵といった文覚の弟子たちによってその志は受け継がれていくが、神護寺はその後も歴史の波に翻弄されていく。

寺宝

神護寺にはその歴史とその重要性から大変多くの国宝、重要文化財を含む寺宝があり、年に一度5月初旬に三日間だけ虫払いが行われる。幸運にもその期間に足を運ぶことができれば写真やカタログのみで知る多くの貴重な宝ものを直に拝観することができる。

本尊 薬師如来立像(国宝 推定 平安時代初期?)

どっしりと肉感的なカヤの一木造で、基台まですべて一本の木から取られている。表情は厳しめで見るものに畏怖を感じさせる雰囲気である。実際に空海もこの像を拝んだと思われ、神護寺の前身である神願寺、または高雄山寺のどちらかの本尊だったのではないかと想像されている。このご本尊を最初に神護寺で拝した時はそのあまりの威厳に圧倒され、魅了され、ずっと眺めていたいと思った。そしてその2か月後に東博の神護寺展で念願の再会を果たしたのだが、東博では神護寺で感じたこの像の見るものを打つ威厳や力強さがあまり感じられなかった。さらに言えば神護寺で拝した時よりもずっと小さく感じたられ、思わず「え?」と声が出てしまったほどだった。これは展示方法のせいだろうか。。。やはりご本尊様はそのあるべき場所で拝むべきだと強く感じた一件だった。本当に素晴らしい仏さまなので、皆さんも是非神護寺をお訪ねください。

高雄曼荼羅  (国宝 推定9世紀 平安初期)

空海が神護寺灌頂堂を設立した頃に淳和天皇の願いによって製作された日本最古の、また密教絵画において最高峰とされる作品である。赤紫の綾地に金銀泥を用いて描かれたこの両界曼荼羅は損傷が激しく、過去に二度の大きな修理を受けてきたが、史上三度目となる修理が2021年に完了し、奈良国立博物館の空海生誕1250年展において初めての公開となった。目をこらしても見切れないほど繊細で緻密な曼荼羅図。いったいどれほどの時間と労力を注ぎ込んだものなのだろうか。とにかくその大きさにも圧倒される。奈良博と東博の展示では、この曼荼羅に描かれた仏様のお一人お一人の下絵まで展示されており、それはそれは素晴らしく美しく尊かった。

★2024年は空海生誕1250年を記念して以下の展示で高尾曼荼羅が公開された

生誕1250周年記念特別展 「空海」 奈良国立博物館

創建1200年記念特別展 「神護寺」  東京国立博物館

神護寺にはこの他にも多くの国宝がある。

神護寺三像と呼ばれる絹本著色伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像(国宝 12世紀)

絹本著色釈迦如来像 (国宝 平安末期)

おまけ

境内西奥の地蔵院の庭からはるか下の清瀬川の渓谷に向かってかわらけ投げをすることができる。眼下に広がる絶景に向かって厄除け祈願のかわらけを投げるのが神護寺訪問の隠れた目的、という人も多いのでは?歌手のさだまさしさんは神護寺の大ファンで、ツアーが終わるとスタッフを連れて神護寺に詣で、その際には必ずかわらけ投げをする、とご本人がお話されていました。

この記事を書いた人

Chrononaut M

慶應義塾大学文学部史学科卒、コロンビア大学ティーチャーズカレッジ英語教授法(TESOL) 修士。Q-Leap株式会社 取締役
2024年に東京から奈良に転居。

外資2社に計10年ほど勤務。その間Chicago、NY、Geneveに計4年駐在。結婚と子育てで一旦仕事を離れ、10年間の専業主婦時代を過ごす。3人の子育て中に再度社会に戻るために本格的に英語をやり直し、2011年にコロンビア大学ティーチャーズカレッジでTESOLを取得、

2014年にビジネス英語研修会社 Q-Leap を愛場吉子と共同設立。企業のエクゼクティブ担当として数多くのプライベートレッスンを現在も手がけている。Q-Leapは今年設立10年を迎えた。「明日の日本代表に真の英語力を!」がスローガン。

コロナ禍にほぼ全てのレッスンがリモートで可能になり、残りの人生は好きなところに住んで好きな仕事をすることに。2024年夏に奈良に転居し、自分の記録として、また多くの人に奈良の魅力を知ってもらいたくChrononaut Naraを立ち上げる。

現在は奈良と東京の2拠点で活動中。奈良8割、東京2割。
推しは、藤原不比等と聖武天皇と早良親王。。。書いているときりがない。