海龍王寺 美貌の十一面観音が待つ写経発祥の寺

かつて藤原不比等邸(現在の法華寺辺り)の隅にあったので「隅寺」と呼ばれた海龍王寺の前身寺院は平城京以前からこの地にあったと考えられている。一条南大路を東から来て法華寺の赤門へと入っていく手前を右に曲がると海龍王寺の門が左手に見える。ひっそりとした入口なのでうっかりすると見過ごしてしまいそうだ。この辺り、道が不規則に曲がっているのだが、これはどうやらかつて平城京に隣接して建てられた藤原不比等邸が飛び出していた部分を避けるためこうなったようだ。頭の中で平城京の東側の不規則なでっぱりを思い起こしながらそこで起こっていたであろう数々のドラマ、策略、駆け引き、人々の営みを想像しながら現代の道を海龍王寺へと辿る。

由緒

奈良時代には海龍王寺は法華寺の敷地内の東北隅にあり、その前身は「隅寺(または隅院)」と呼ばれていた。境内からは飛鳥時代の古瓦が出土しているので、この寺は平城京以前からここにあり、平城京遷都とともに不比等邸へそのまま取り込まれたようだ。その後、寺伝によると天平三年(731年)に光明皇后の発願によって建立された。唐から戻った僧玄坊が初代住職となる。玄昉が唐からの帰路、暴風雨にあったが海龍王経を唱えることで無事に帰国を果たしたことから海龍王寺という寺号になった。

海龍王寺として独立した後は聖武天皇、光明皇后などのために祈願を行う宮廷寺院としての役割と、また寺院内に設けられた写経所においては光明皇后発願の「一切経」の書写なども行われる道場としての存在でもあった。般若心経の原本としての「隅寺心経」も保管されている。写経発祥の寺でもある。

境内

駐車スペースから石段を数段上っていかにも鄙びた表門をくぐると、どこか浄瑠璃寺への道にも似た両側を築地塀に囲まれ、樹木の生い茂る小径のような参道を通って境内へと入る。一瞬で古の昔にタイムトリップできる美しい空間だ。この参道と境内内部は3月から4月に可憐な雪柳の花で覆われ、この景色を目指して訪れる人も多い。参道を抜けると境内右手に本堂、正面に西金堂が見える。大きくはないが、静かでゆったりとした空気が心地よく、奈良時代の人がかつて同じ場所に立っていたことを感じられる空間。

本尊

十一面観音菩薩立像(重要文化財)鎌倉時代

鎌倉時代に慶派の仏師によって造られ、光明皇后が自ら刻んだ十一面観音を模して造られたと言われている。鎌倉仏らしくとても精緻な作りで装飾品や衣服も息をのむほど美しく、保存状態も良いためその鮮やかな色を現代でも楽しむことができる。ポスターになっていた白黒の頭部だけの写真も大変美しく記憶に残っている。美形十一面観音像の代表のひとつ。

通常は戸帳越しの間接的な拝観だが、年3回(春、5月、秋)の特別開帳の時のみ直接拝観が可能。

正確な時期に関しては海龍王寺HP「おしらせ」へ。

その他寺宝

五重小塔(国宝)奈良時代前期

西金堂内部に安置されており、天平時代の構造物として残存する貴重なもので国宝に指定されている。室内で拝むためのものだったので細部にわたり精巧な作りで見ていて飽きない美しさだ。同時代に作られた五重小塔は他にも光明皇后の発願により元興寺の西小塔堂に安置された(現在は元興寺極楽坊内)ものが有名で、こちらも国宝指定。

文殊菩薩像(重要文化財)鎌倉時代

授与品

花の写真は海龍王寺HPより

雪柳(3月~4月)

アクセス

〒630-8001 奈良県奈良市法華寺北町897

TEL:0742-33-5765 / FAX:0742-34-7443

開門時間:9:00~16:30 (特別公開時は9:00~17:00)

この記事を書いた人

Chrononaut M

慶應義塾大学文学部史学科卒、コロンビア大学ティーチャーズカレッジ英語教授法(TESOL) 修士。Q-Leap株式会社 取締役
2024年に東京から奈良に転居。

外資2社に計10年ほど勤務。その間Chicago、NY、Geneveに計4年駐在。結婚と子育てで一旦仕事を離れ、10年間の専業主婦時代を過ごす。3人の子育て中に再度社会に戻るために本格的に英語をやり直し、2011年にコロンビア大学ティーチャーズカレッジでTESOLを取得、

2014年にビジネス英語研修会社 Q-Leap を愛場吉子と共同設立。企業のエクゼクティブ担当として数多くのプライベートレッスンを現在も手がけている。Q-Leapは今年設立10年を迎えた。「明日の日本代表に真の英語力を!」がスローガン。

コロナ禍にほぼ全てのレッスンがリモートで可能になり、残りの人生は好きなところに住んで好きな仕事をすることに。2024年夏に奈良に転居し、自分の記録として、また多くの人に奈良の魅力を知ってもらいたくChrononaut Naraを立ち上げる。

現在は奈良と東京の2拠点で活動中。奈良8割、東京2割。
推しは、藤原不比等と聖武天皇と早良親王。。。書いているときりがない。