興福寺を訪れる人の多くが目的とするのが五重塔とこの国宝館ではないだろうか。五重の塔は修復作業に入るため2024年から本格的に足場が組まれ、2031年までその全容をみることはできなくなるが、その五重塔の北側にあるあまり目立たない建物が国宝館だ。近鉄奈良駅から大通り(登大路)沿いに歩いて興福寺境内に入ると最初に出てくる建物のひとつで、ここは僧侶が食事をする食堂(じきどう)があった場所だそうだ。昭和34年に開館した国宝館の地下には旧食堂の遺構が保存されている。この一見地味な建物の中に白鳳時代(7世紀)から鎌倉時代(13世紀)までの仏像の最高傑作が所狭しと納められていて、まさに国宝だらけの「国宝館」だ。
奈良に来ると行きたいところが多すぎてどこから行こうか、そして行きたいところ同士はかなり離れていることが多いので、常に苦渋の決断をしなくてはならない。こちらに行けばあちらには行けない。。。という悩みである。
そんな私が近鉄奈良駅近辺にいて少しでも時間が余れば訪ねるのが興福寺国宝館だ。光を落とした薄暗く静かな空間に圧倒的な癒しの力を放つ仏様たちが待っていてくれる。いつでも一歩中に入れば心が静まり、そしてその美しさに心奪われる場所。ガラスケースに入らず、私たちと同じ空気の中にいてくださる仏様たちに古の人々がそうしていたであろうように自然に手を合わせてしまう。自分も祈ることで古の人々の祈りに触れる瞬間でもある。
展示
好きな像ばかりで選ぶことが非常に難しいけれど、私が特に好きな像たちをいくつか簡単に紹介したい。最初にご紹介する十大弟子像と八部衆像が納められていた西金堂は光明皇后が前年に亡くなった母橘三千代の冥福を祈り734年に建てられた。この西金堂は礎石のみが残っているが、かつてそこに納められていた優美な仏像の一部は幾多の災害を経て今に伝えられている。
国宝脱乾漆造 十大弟子立像 8世紀(元西金堂)
どこまでも、どこまでも繊細で優しい像たち。この前に立つと心が洗われる。いったいどんな仏師がこの十代弟子立像を作ったのだろうか。他では見たことがないほどの透明感を感じて訪れる度にかなりの時間その前に立ち止まってしまう。私は特に須菩提像(阿難とも)のファンだ。もともと十躰あったものが今は六躰しか残っていない。
国宝脱乾漆造 八部衆立像 8世紀(元西金堂)
八部衆立像の阿修羅像はあまりにも有名でファンクラブもあるほどだが、私は胸から頭部までしか残っていない五部浄もとても好きだ。この像の右ひじから先は東京博物館にあるそうで、機会があれば見に行きたいと思っている。この八部衆の内、四体の顔は黒く、四体は赤い、どのような意味があるのだろうか。また八部衆のうち四体は明らかに少年の顔をしており、その他の四体の異国風の顔つきと違うところもとても興味深い。一説によると少年の顔を持つ像は発願者である光明皇后と聖武天皇の夭折した皇太子、基王を映しているという。一歳の誕生日を目前にして世継ぎの息子を失う悲しみは想像にあまりある。
国宝 木造 板彫十二神将像 11世紀(元東金堂)
こちらは珍しい浮彫の十二神将像で、どの神様もとってもユーモラスで親しみやすいお顔とポーズ。眺める人をくすっと笑顔にしてしまうポジティブパワーの守護神たち。
国宝 木造 天燈鬼立像・龍燈鬼立像 13世紀(元西金堂)
いつも四天王に踏まれている邪鬼さんたちが立ち上がった!うおおおお~。というわけでなんともユーモラスで可愛い邪鬼像です。赤と青、阿と吽、静と動、とコントラストのはっきりした二躰で見どころたっぷり。表情も生き生きとして魅力的。龍燈鬼は運慶の子、康弁の造像。