訪れたのは3月だった。この日は多武峰の談山神社から降りてきて、宇陀にある美味しい蕎麦屋一如庵でお昼をいただいて大神神社に行く予定だった。ところが街道沿いに「聖林寺」の看板を見かけ、美しい十一面観音様に久しぶりにお目にかかりたくなり、右に行けば大神神社のところを左に曲がって小高い山の中腹にあるお堂を訪ねた。日曜日だったが自分たちの他には数人しか参拝者はおらず、ゆっくりと拝観することができた。
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由緒
伝承では藤原鎌足を祀る妙楽寺(談山神社)の別院として鎌足の長子、定慧和尚の建立とされている。その歴史には不明な点が多いが、三輪の土地や大神神社とは関係が深かったようだ。明治の廃仏毀釈の後に大神神社の神宮寺であった大御輪寺あたりの軒下に放られていたこの十一面観音を聖林寺の和尚さまがリヤカーに載せてお寺まで運んで以来預かっておられるというエピソードが世の中に広まってしまったようだが、実際には大御輪寺から聖林寺が正式にお預かりしている、というのが正しいところのようだ。大正5年に一旦は修理のために国宝修理所へ預けられ、その後も優れた国宝として博物館に保存したいという国側の意向もあったようだが、観音様は引き続き新生なった聖林寺の観音堂にいらして多くの人に慈しみを与えられている。
境内
駐車場から石段を上ると右手に聖林寺の山門がある。とても小さなお寺だが、本堂の前庭には手入れのされた植木と石塔(十三重)があり、地域で愛されているお寺のアットホームな雰囲気を醸し出している。社務所の横で靴を脱いで本堂に上がる。
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本堂
山の中腹にある本堂の大きな開口部から北側を眺めると三輪山や箸墓古墳などが一望でき、穏やかで昔から変わらないだろう桜井の景色が視界一杯に入ってくる。今でも古の人と同じ景色を見ることができるのは奈良の素晴らしいところだ。青い空に雲が浮かび、春の光が美しい。小さなお寺ながらこのお堂に入ると大きな空間を感じるのは外に見えるこの景色にも理由があるのかもしれない。
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本尊
こちらの本堂のご本尊様はぽっちゃり可愛く、たいへん珍しいことに特大の石でできたお地蔵さまだ。子安延命地蔵という安産や子授けの願いを叶えてくれる仏様でそのご利益が感じられる優しいお顔である。
国宝 十一面観音
聖林寺を訪れるほとんどの人の目的は名高い国宝の十一面観音を拝むためだ。観音様は本堂向かって左側の半外階段を登っていった先の観音堂に安置されている。過去40年ほどの間に4回ほど訪れているが、毎回来るたびに観音様の展示環境が変わっている。今回は2020年に開眼供養と光背の修復をされたとのことで、観音堂もとても立派で現代的な空間になっていて驚いた。
ガラスケースに入った観音様はすっとお背が高く、圧倒的威厳と優美さと繊細さを併せ持った天平美仏だ。奈良時代、八世紀半ばの作で天武天皇の孫、智努王が願主であるとのこと。現在の展示は観音様の周りをぐるりと歩けるようになっており、360度の角度からその美しさを堪能することができる。奈良時代の木乾漆造りにもかかわらず、金箔も良く残っていて素晴らしく神々しい。
白洲正子さんの著書「十一面観音巡礼」の表紙の写真にもなっており、その冒頭でこう表現されている。「差し込んでくるほのかな光の中に、浮かび出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。それは今この世に生まれ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。・・・世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。」
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白洲正子さんが訪れた昭和初期は聖林寺さんのことも誰も知らず、この観音様も大変質素なお堂にあったようだ。今ではかなり現代的な展示になっている。
一旦近くでお姿を拝んだ後は、一段下がったところにあるソファに座ってゆっくりといつまでもその美しさに浸っていたくなる。
この観音様の素晴らしく優美な光背の残欠は奈良国立博物館に預託されているが、2020年の開眼供養の際にそれが西陣織で再現されたそうだ。木工で再現するのはあまりにもコストがかかるので断念されたとのこと。次に奈博に行くときは是非光背の残欠を見に行こうと思う。
授与品
十一面観音像のお姿を写したハガキ類などもたくさんあるのだが、気になったのが赤膚焼きのお茶碗だった。可愛らしい鳥や花の絵が描いてあって小ぶりの使いやすそうな抹茶茶碗。次に行ったら買おうか。1万3千円だったか。。。
アクセス
公共の交通機関はほぼなく、JR桜井駅からは2.6キロほど南にある。