そのお姿を直接見てもいないのに夢殿の救世観音さまは私の中では中学生の頃から最も謎めいて魅力的で、そしてちょっと怖い憧れの仏像だった。
でも、本当にこれは仏像なのだろうか。
平安後期、京都の学者大江親道は「七大寺巡礼私記」にその印象を「仏像にあらず。ただ等身の俗形で、冠帯を着す。」「形を見れば在俗なり。印を見れば救世観音。すなわち太子の御影と知るなり。」と書いている。また、彫刻家高村光太郎はこの像は「ただならぬもの」であり、どのような優れた写真家がこの像の写真を撮ろうともその撮影はその写真家の命取りになるだろう、とまで言っている。
私は長くこの救世観音を写真でのみ知っていた。中学の頃、梅原史観にどっぷりはまっていた私にはこの救世観音はどちらかといえば暗いイメージを伴うものだった。一目見たら忘れられないその姿に焦がれてきたが、写真によってこうも印象の変わる像も珍しいのではないかと思う。写真家の「こう撮ってやろう」という狙いをこの救世観音はやすやすと叶えてあげた上で本当のお姿は誰にも撮らせないのではないかと思うほどだ。入江泰吉が撮れば優しく慈しみ深く、土門拳が撮れば魔界からやってきた呪術師という具合に。
もういい加減頭でっかちになっていた私に、何十年の時を経てついに本物の救世観音さまを拝む機会がやってきた。今日は11月19日なので特別拝観最後の日まであと3日である。朝一番で仕事を片付けて、車で法隆寺に向かった。前回友人に教えてもらった駐車場に停める。雲は多いが時折日差しが明るく射す気持ちの良い天気だ。着いたのが11時頃だったので、法隆寺境内は修学旅行の子どもたちでいっぱいだ。「しまった。来る時間を間違えたか」と思ったが、お昼近くになればきっと空くだろうとのんびりと東院のほうに向かう。
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夢殿はとても優美な八角円堂だが、法隆寺全体の敷地の広さを考えると夢殿のある東院はかなりこじんまりした場所だ。丁度団体が出て行ったあとで、待たずに夢殿に上がることが出来た。もっと近くで拝することが出来るのかと思ったらさにあらず。救世観音様は夢殿の中心の大きなお厨子の中に静かに佇んでおられ、私たち参拝者は御堂の外側の網を張った格子の間から覗き見るようにそのお姿を見せて頂く。折しも陽は高く、眩しいほどで、その眩しさに慣れた目で暗い御堂の中を網越しに見ても最初はなかなか何も見えてこない。
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拝んだ後、暗さに慣れるまで少し目を凝らしてじっとしていたらだんだんお像の裾の辺りの金色が浮かびあがってきた。思っていたよりもずっとすらっと細身でお背が高い。暗闇の中にぼうっと輝く金の部分が時間と共に少しずつ上の方まで上がっていった。1400年近くも前(恐らく)に作られた像なのに秘仏であったためにとても艶やかに金が残っている。お顔の方は厨子の中でやや賓帳の陰になっているので少し見づらかったのだが、北面している私の後ろから太陽の光が少し入ってきてくれた時、お顔とお口の紅まではっきり見ることが出来た。
先日とある会で仏像の「人間らしくなさ」は鼻で決まるのだ、というようなお話を耳にしたように思う。鼻は短く華奢な方が人間っぽくないと。そういえばそうだと思った。翻ってこの救世観音様の鼻はものすごく大きい。そして唇も分厚く、大きく見開いた眼といい、本当に黒人をモデルにしたようなお顔なのだ。これはどういうことなのだろうか。。。聖徳太子のお姿だとしたら、本当にこんなお顔だったのだろうか。百済渡りの太子の念持仏だったとしてもどんなモデルだったのだろうか、と更に謎は深まるばかり。
後ろに待っている方がいたので、一旦譲り、また誰も居なくなったところで再度お姿を拝した。
私にしたら何十年も憧れてきたロックスターについに会えたような気分で、自分の中でゆっくり育ててきたものと目の前にいらっしゃるお姿を重ね合わせて馴染ませ、それを自分の心にまた丁寧に仕舞うような経験だった。
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救世観音については分からないことだらけだ。
いつ作られたのか?
誰が作ったのか?
何の目的で作られたのか?
これは聖徳太子の念持仏だったのか、それともそのお姿を写したものなのか?
なぜ秘仏だったのか?
何もわからないけれど、私は彫刻家の高村光太郎さんの「作者が絶体絶命な気構で一気にこの御像を作り上げ、しかも自分自身でさえ御像を凝視するのが恐ろしかったような不思議な状態を想見することができる」と書かれているのに共感する。
何も分からないけれど、本当に何かどうしようもないほどの激情と祈りが込められている。
それを感じられただけでも良かった、と思えた。
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