二月堂の舞台から眺める奈良は空が広く、本当にゆったりとしていて素晴らしい。
東大寺二月堂は3月に行われる修二会(お水取り)で有名だが、昔は陰暦の二月に行われたので二月堂と呼ばれている。まさにこれを書いているのが2024年3月1日の午前1時少し前なので、あと10分もすれば食堂で受戒が行われる時間だ。いよいよ十四日間にわたる修二会の本行がここから始まる。大仏開眼法要と同じ天平勝宝4年(752年)にこの修二会の第一回が行われたということなので、1300年近くも全く同じ行を護ってきているところに東大寺のすごみがあり、また「変わらない」というところに奈良の素晴らしさがあると思っている。修二会の行の満願を願いながら二月堂について知っている範囲で書こうと思う。
アクセス
二月堂は東大寺境内の北東、若草山の西側の山丘にあり、南大門を入った先の右手の緩やかな坂を上るか、または中門手前を右に曲がって上がっていけば分かりやすい。ここには二月堂の他、法華堂(三月堂)、四月堂、開山堂、手向山八幡宮などがあり、東大寺の前身と考えられている金鍾寺や福寿寺などがあった場所で、まさに東大寺発祥の地と言えるだろう。
二月堂(国宝)は内陣、礼堂、局、そして特徴的な斜面に張り出した舞台で構成されたとても大きな建築物だ。現在の建物は出火によって焼失したものを江戸時代(1667年)に再建したものだが、正面から見る舞台、お堂の左右の階段、そして舞台下の良弁杉もふくめてその堂々とした姿はもはや何か人格を持っているような印象すらある。
本尊
本尊は二体の絶対秘仏の十一面観音だ。絶対秘仏なので今は東大寺の僧であってもその姿を排することはできない。一体は須弥壇の中央にある「大観音」、もう一体は大観音の後ろに安置された厨子に入った「小観音」。「伝承によれば、実忠は十一面観音悔過の法を行おうと難波津において補陀落浄土に向かい祈り続け、ついに海より生身の十一面観音を迎えたという(二月堂縁起)。」
修二会(お水取り)
毎年3月1日から14日まで行が行われ、15日に満願となる。選ばれた11人の練行衆によって行われる。
天平宝勝4年から始まった修二会は十一面悔過と呼ばれる。悔過とは仏や菩薩に対し罪を懺悔し、除災招福、五穀豊穣、病平癒などの功徳を得ることを目的に行う法会のことで、修二会では14日間の行の前半「上七日」を大観音へ、後半の「下七日」を小観音に対しての悔過として行っている。また、修二会の期間、須弥壇を飾るのは僧侶たちによって造られた和紙でできた椿、「糊こぼし」だ。白と紅の花弁が交互になる美しい椿で、二月堂向かいの開山堂にある「糊こぼし」と呼ばれる椿の花を模したものと思われる。
修二会の別名の「お水取り」は3月12日に行われる「水取り」が由来で、12日後夜(13日午前2時ごろ)六人の練行衆が二月堂を出て、閼伽井屋(二月堂下にある若狭井)から香水を汲みだし、これを十一面観音に供えるのが習わし。
修二会については本が一冊かけてしまえるほどの内容があるので是非興味のある方は書籍にもあたってほしいと思う。
2024年は奈良国立博物館で修二会の期間「お水取り」という展示がされており、代々使われてきたお道具類や資料などをたくさん観ることができた。
その際の冊子「特別陳列 お水取り」(奈良国立博物館)の内容が大変充実しているのでお薦めしたい。
その他
修二会を見に行く場合、ほぼすべての行が日没後に行われるので事前に宿を取り、温かい服装で来られることをお勧めする。奈良の冬は寒く、修二会が終われば春がくる、と言われている。また、近年拝観者が大変多いので、修二会の一週間ほど前になると東大寺のホームページで修二会の拝観の方法について詳しい情報が提供されるので、是非そちらを事前に読んでルールを理解してから来られことをお勧めする。