第45代天皇、聖武天皇(701-756)といえば奈良時代を代表する人物であり、東大寺を発願した天皇、といえば最も分かりやすいかもしれない。聖武天皇なしに奈良時代を語ることは難しい。とても真面目な人柄でたまに考えすぎて迷走してしまったりもするとても人間らしい天皇は、その悩みの大きさからか深く仏教に帰依し、ご自身のことを「三宝の奴(仏に仕える者)」と呼んだ。その死後は妻である光明皇后によってその遺愛の品々が正倉院に納められた。私たちは毎年秋に奈良国立博物館で開催される「正倉院展」で、聖武天皇の身に周りに置かれ愛用された品々を間近に見ることができる。聖武天皇と光明皇后は幼いころからお互いを身近に感じる環境で育ち、夫婦となってからもその仲睦まじさは良く知られている。その二人の心を現わすように陵も隣り合って作られた。
場所:佐保のこと
聖武天皇の陵は近鉄奈良駅から東大路を北に渡り、奈良女子大の前を通ると目の前に見えてくるこんもりと樹木で覆われた古墳がそれだ。近鉄奈良駅からは徒歩12~15分くらいだろうか。また、東大寺の転害門(東大寺創建以来焼失していない唯一の門)からは一条通をまっすぐ西に600メートルほど歩いた右手にある。聖武天皇陵の参道入口はまさにこの一条通と佐保川が交差する場所にある。この一条通をさらに西にまっすぐ進むとその突き当りは平城京である。聖武天皇と光明皇后の陵はその生涯を象徴するように平城京と東大寺を結ぶ線の上に置かれている。奈良時代を代表する天皇・皇后の陵としてこれ以上相応しい場所はないだろう。
この一帯は佐保と呼ばれ、奈良時代には貴族の別宅が多くあった場所である。最も有名なものは長屋王の別宅で佐保楼と呼ばれ、当時の貴族、文人などが風流を愛でた場所であったようだ。現在の地名では法蓮町の東側、多聞町、東包栄町などがこの佐保に含まれる。佐保川に沿って見事な桜の並木があり、春にはその両岸が桜で埋め尽くされる。自転車で東大寺から平城京までサイクリングするのも気持ちが良い。
参拝
転害門から来ると佐保川にかかる小さな佐保橋を渡ったすぐ右手が参道入口だ。脇には宮内庁の天皇陵を示す看板が立っており、目の前にはかなりの長さの白砂利の参道がまっすぐ正面の天皇陵まで伸びている。両側に松などの植栽があるが、昔の写真で見るほど大きな松は今ではなくなっている。御陵へは階段を登りきったところまで近づくことができる。鳥居の後ろは鬱蒼と樹木が茂る小高い丘になっている。この小高い丘は右隣の光明皇后陵まで続いており、ここには鹿の家族が住んでいるようだ。奈良公園の鹿と違ってかなり警戒心が強く、人が近づくと逃げてしまう。
聖武天皇にご挨拶をして階段を下りて少し参道を戻ると左手に光明皇后陵への道が続いている。光明皇后陵は正面までは入れず、横から拝むようなかたちになる。参道の右側には多聞町の古い家々の今にも崩れそうな土壁が残っており、それもまた風情がある。先日私とすれ違いに参道を入ってくる年配の男性がいて、少しお話した。「私は夕方の静かな時間に御陵の階段に座って本を読んだり、ぼ~っと考え事をしたりするのが好きなんです」と仰っていた。地元ならではの贅沢ですね!
帰りは光明皇后陵からまっすぐ戻ると宮内庁の事務所の前を通り、元の聖武天皇陵の参道に合流するのでそのまま一条通へと戻る。
行事:聖武天皇祭
例年5月2日の聖武天皇の命日には東大寺で盛大な祭典が行われる。大仏殿での法要はもちろんの事、東大寺幼稚園の子どもたちが奈良時代の衣装を着て、着物姿のお母さんたちに手を引かれて練り歩く稚児行列は本当に可愛らしい。大人も奈良時代の衣装を着て時代行列をするので大変華やかだ。その後は南大門横の鏡池で雅楽と舞の奉納も行われる。とても素晴らしい法要なのだが知っている人は少ないようで、ゆったりと楽しむことができる。
そして翌日の5月3日には朝8時半から聖武天皇陵で山稜祭が行われる。東大寺の僧侶たちが読経を上げ、午後献茶をされる茶道裏千家の家元などが参加される。その後、11時ごろから大仏殿で裏千家による献茶が行われる。
GW中でもあり、東大寺近辺にいらっしゃる際には是非聖武天皇祭を見に行かれることをお勧めする。